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今月の妻との月いちランチデートは秋の味覚を求めて@江戸時代へタイムスリップ「妻籠馬籠」PART5

馬籠宿をゆっくり堪能して・・・

周りを歩いてみました(笑)

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このような土地を愛する奥様としっぽり歩く、いいものです。

この歳になったからなのかなぁ・・・

さて、馬籠宿から落合宿に向かって歩いてみました・・・

さすがに落合宿までは距離があるので馬籠宿周辺ですが(笑)

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藤村の「夜明け前」にあるように、「木曽路はすべて山の中にある」

山の天気は変わりやすいといいましょうか・・・

雲が出てきましたが、これはこれで雰囲気がありますね(笑)

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馬籠宿はかなりの観光客がいましたが、ちょっと離れると

人っこひとりいない、静かな場所です・・・

民家の軒先には柿が干してあったり。都会では見れない光景。

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のどかな景色に隣には愛妻が・・・

これが木曽路なんですね(笑)

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歩いていると・・・

諏訪神社が見えてきました。

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とりあえず、楽しい旅行ができることに感謝して

手を合わせ・・・

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島崎藤村の父、正樹、「夜明け前」の青山半蔵のモデル

その碑が建っていました・・・

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そして、すぐに「馬籠城跡」が・・・

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戦国時代では信濃国の武将、木曽義昌の支城で

山城でありました。

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1584年にはあの秀吉VS家康、小牧・長久手の戦いの際に

豊臣秀吉側に付いた木曾義昌は馬籠城に島崎藤村の祖先に

あたる島崎重通を入城させました。

徳川家康は菅沼定利・保科正直・諏訪頼忠の連合軍に木曽攻め

を命じ、現在の馬籠宿の北に陣を張り馬籠城を攻める事に

それをを知った島崎重通は恐れをなし妻籠城に逃げました・・・

そのため城はそのまま放置されたので馬籠は戦火から

逃れたそうです。

こちらが、馬籠宿の北にあたる場所・・・

坂を登り・・・

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登ったところに、上陣場があります・・・

ここに徳川連合軍の大軍が陣をとったのですね。

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海抜653mの位置にあります・・・

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この正面の宿場を下ったところに馬籠城があったわけで

まさに一触即発、大軍が来たとなれば逃げ出すのも

わかりますね・・・

この場所は言わば、本流の戦いではなく支流の戦い

今考えると、日本統一の戦いはそこらじゅうの土地でいろんな人を

巻きこんですごい事だったんだと今更ながらに

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それにしても、木曽山脈(中央アルプス)の最南端にある

日本百名山にも選定されている恵那山などが一望でき

最高の景色が満喫できます・・・

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それから車を走らせ馬籠峠へ・・・

途中の「水車塚」へ

ここは明治37(1904)年、豪雨で山崩れが発生した際に犠牲となった

一家4人を悼んだ鎮魂碑が建てられています。

碑の下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水に

うもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の

一文が刻まれていました・・・

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馬籠峠を越えれば木曽路は下り坂、深い木曽の山谷を下って

ゆく事になりますが、下りも木曽の山道は楽ではなく、険しい道が

この先も延々と続くのであります・・・

昔の人にとってはさぞかし難所だったことでしょう。

深い谷に入って行くと、険しい谷が出てくるのですが、その谷を

降りてゆくと、滝が2つ出現します・・・

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この場所はちょっと空気が冷たく神聖な場所に迷い込んだ

雰囲気です・・・

奥様は怖いということで、車を止めて私ひとりで谷を

降りました(笑)

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そうです、ここは「男滝・女滝」です・・・

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実はこの滝あの吉川栄治原作の小説「宮本武蔵」に

登場するんです・・・

「宮本武蔵」は1935年~1939年に連載され、新聞小説史上

かつてない人気を得ました。

剣禅一如を目指す求道者・宮本武蔵を描いたこの作品は、

太平洋戦争下の人心に呼応し、大衆小説の代表作となった

わけですが・・・

私も読みましたが、この滝での物語は五話で出てきます(笑)

お通と武蔵が出会った滝であります。

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若き日の宮本武蔵は、全国行脚して修業を続けていましたが、

この中仙道を進み木曽路にも踏み入れ、この滝で修業を重ね、

剣豪への道を着実に進む姿を描いてます。

あの猛々しい荒武者にも似た武蔵が、一心不乱に修業して

いる姿が見えるようで、小説から抜け出てきそうな場所で

ちょっと感動しました・・・

山深い木曽山中で若き日の宮本武蔵が、さも修業した場所の

ような、そんな雰囲気が漂っているようで、吉川栄治も小説の

中でさぞ空想していたのでありましょう・・・

男滝です・・・

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女滝です・・・

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また、この滝には倉科様伝説という伝説があります・・・

その伝説とは倉科左衛門尉時元は松本平の豪族で、始め

武田信玄に仕えていましたが信玄亡き後松本城主小笠原貞慶の

愛顧を享け重臣として面目をほどこしていました。

豊臣秀吉が関白に任ぜられたとき秀吉への祝辞言上の

正使となりお祝いの品を持って上洛の途上、現在の大妻籠

あたりで土地の盗賊に襲われ殺害されました・・・

その時、お祝いの品である金の鶏は現在の女滝に舞い込んで

しまったといいいます。訃報を知った倉科様の奥方は妻籠の

宿まで来て「夫の仇、夫の恨み粟の粒ほど崇れ」と叫びました。

その祟りのためか滝壺は埋め尽くされた。そのため滝壺に

舞い込んだ金の鶏は再び悪人共に姿を見られることは

ありませんでした。

部落の人たちはこれこそ倉科様の霊の祟りだと租霊社に

倉科様の霊を祀り、山賊に盗まれた品物を木でこしらえ

御霊代として祭祀とした。

今でも4月3日には地元、近在の人たちが多く集まり

霊をお祭りしているそうです。

現在の旅人は、目立たない場所ということもありますが

この滝まで見に行く人は少なく、ここが宮本武蔵修業の滝とは

知らないで通り過ぎてしまい、折角の名所も見る機会をなくして

いるようであるので是非、体感してみてはどうでしょうか(笑)

昔の中山道をいく旅人はこの水源は憩いの場所として

通過していったことを考えるとさらに感慨深いですからね・・・

ということで、馬籠全般を御紹介しました(笑)

まだまだ続くわけで、次回は妻籠宿を・・・

あしからずです(笑)









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